ひねくれ者だけれども(兵庫散歩)

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最近、神戸新聞サイトには、この手の記事が多い。


清盛ゆかりの史跡巡る 神戸でまち歩きイベント

NHK大河ドラマ平清盛」に合わせ、
清盛ゆかりの神戸市兵庫区と長田区の魅力を楽しむ
まち歩きイベント「清盛ヒストリーウォーク」が、19日あった。(以下略)


こういう記事を読むと、申し訳なく思えて仕方ない。
ま、私の細々ブログは影響力皆無だから、変えるつもりはないけど。

記事にあるような観光PRを地道に熱心にやられている方々は、
「こんなのがありますよ、こんな逸話があるんですよ」と、
兵庫の魅力を広めておられる。

一方、私の「兵庫散歩」は、同じ物を見ながら、
「驚くほど残ってないんですよ」と、繰り返し語っている。
性格悪いですね、我ながら。嫌がらせみたい。

つまりは物事の表裏です。
私は、「ある」に注目するより、「ない」を考える方が好きで、
兵庫の町を体感するにはその方が適していると勝手に思い込んでいる。


ちょっと脱線。

何故、桓武天皇は京に都を作ったのだろう?
何故、秀吉は大坂に巨大な城を作ったのだろう?
よくある歴史の設問です。

でも私はひねくれ者の愛郷者だから、
何故、宝塚市に都は作られなかったのか?
何故、宝塚市に巨大な城は作られなかったのか?
なんて事も時には空想する。

そうすると「都とは?」「城とは?」「宝塚はどんな場所?」が、
別の角度から分かるような気がする。

「これがここにあるのは何故?」を考えるのと同時に、
「これがここに無いのは何故?」も忘れずにいたいものだ。
それによって別の世界が見えてくる。


本当はこの内容をもっと掘り下げたいのだけど、
時間がないので中途半端に終わります。

ただね、日本に一つぐらい、
「ない」ことを考える歴史観光地があったっていいじゃないか、
ってのは現実問題として無茶ですか?


写真は和田神社。
上記リンクの記事には、

大輪田の泊」を築く際に事業の無事を祈願した

とありました。へえ、知らんかった。