古写真を推理する


 昨日の記事の続編。

宝塚温泉の明治30年代の古写真について。
110年ほど前のものだから、
今の日本の最高齢記録の方あたりが生まれた年だ。

同じ写真を、縮小してもう一度コピペしておく。

イメージ 1


 この写真、よく考えると、不思議でならない。


 例えば、私がタイムマシンで、
当時の宝塚温泉を撮影しに行ったとする。

何を写すか?

メイン通りの賑わいを写すだろう。
豪華な建物の様子を写すだろう。
許されるなら、浴槽も写したい。
宴会場を写したい、働く人の様子も写したい。

見た人が「行ってみたい」と思う様な一枚を、写したい。


 ところが、この写真はどうだろう?
私が旅行雑誌の編集者だったら、この写真はボツだ。

中途半端に離れた距離に、
豪華そうな建物がたくさん見えているというだけ。
タイトルが無かったら、温泉街であることすら分からない。
実際に賑わっているのか、楽しい場所であるのかも分からない。

昨日の記事にある通り、写した地点を私はだいたい知っている。
この背後は急な坂だ。
温泉街の全体像を写したかったら、
もっと上まで登れば、角度がついて、
この写真では分からない手前の川や橋の様子も写ったはず。

当時の技術や、機材の重さや、一枚にかかるコストや時間について、
私はまったく分からない。

しかし、それにしても、これは中途半端すぎないか?


 想像するに、こういう事だったのだろう。

撮影者は、今のJR福知山線、当時の阪鶴鉄道でやって来た。
手前に見えている線路です。
宝塚駅が近付くと、車窓から温泉街が見えた。

「さっき見えたところまで引き返して、そこで撮影したらいいや」

つまり、温泉街を周り、さまざまな撮影ポイントをチェック検討し、
考慮したうえでベストだと判断した場所からの一枚ではない。
最初に見えた地点に一番近い所を選んだだけ。

そんな怠惰な撮影者だった、というのが私の推理です。

いや、「怠惰」と断言するのは、間違いかな?
当時の写真撮影では、これが常識だった可能性も高いし。


 悪口を書いていますが、温泉街以外がいろいろ写っているので、
教えてくれる事の多い一枚にもなっています。
怪我の功名みたいなものか。

山が好きな私は、当時の宝塚市内の山も、
ずいぶん禿げていたのを確認できました。

また、今日のニュースに宝塚音楽学校100周年とありました。
この写真の十数年後、同じアングルで写したら、
全く違った光景に変貌していた訳です。

随分前に記事にしましたが、宝塚球場もこの範囲内だったはず。

小林一三の夢の前が、こうやって写真に残っている!


ほんと、古い写真って面白い!